くぼけん’Sブログ

沖縄劉衛流龍鳳会香織龍鳳館で空手を学んでます。空手大好き、海大好き、沖縄大好き。そんな気持ちを伝えていきたいです。

走る 64/100 菊池桃子が大好きだった中学・高校時代

菊池桃子

 走っているとき、苦痛を紛らわす術として、妄想をすることがある。

 

こんな時の妄想は、不純なものに限る。

 

今日は菊池桃子で妄想してみた。

 

菊池桃子が本当に好きだった。

どれくらい好きだったか。

結婚を夢見るくらい。

危ない。一歩間違えればストーカーになっていたかも。

しかし、不幸中の幸いといえるのか、当時、埼玉の田舎で暮らしていた俺は、彼女に直接会える術を知らなかった。もっぱら、ブラウン管の中の彼女に恋をしていたのだ。

 

デビューシングル「青春のいじわる」、セカンドシングル「SUMMER EYES」、サードシングル「雪に書いたLOVE LETTER」、そして4枚目の「卒業」は、発売日当日に購入、もちろんファーストアルバム「OCEAN SIDE」もだ。

 

ちなみに、お気に入りのジャケット写真は断トツ「SUMME EYES」だ。

アルバム「OCEAN SIDE」のジャケット写真もやばかった。海にあおむけに浮かぶ菊池桃子。正直、今見ても目のやり場に困るほどだ。

 

菊池桃子の「卒業」は1985年2月のリリース。俺が、中学3年生、そうまさに卒業を迎えようとしているときだった。

その年は、名曲、尾崎豊の「卒業」、そして斉藤由貴の「卒業」もリリースされたが、その名曲たちを俺の中でははるかに凌駕していたよ、菊池桃子の「卒業」は。

 

映画も「パンツの穴」はもちろん、「テラ戦士BOY」も前売りチケット購入し、友達のMと見に行った。

ちなみにMとはよく喧嘩をした。どちらが菊池桃子と結婚するかで。

 

清純派アイドルの菊池桃子が大好きだった。

だから、彼女がロックバンド「ラ・ムー」を結成したあたりから、彼女への熱がスーッと冷めていった。

 

プロゴルファーの西川哲との結婚を知った時も、ショックはなかった。

 

走りながら、菊池桃子への思いを振り返ってみたが、「この程度では、熱狂的なファンが持つ思いの足元にも及ばないのでは?」と、47歳となった俺は冷静に結論を出し、そして、30分間のジョギングを終えたのだった。